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5,[本(社会)]「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦[感想,考察]

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「『愛されたい』を拒絶される子どもたち」

<<目次>>
1,参考箇所(本文より引用)
2,まとめ,感想,考察




<1,参考箇所(本文より引用)>
P20,21:児童相談所が勝手に子どもを連れていったと考えた父親は、そのやり方に怒り、妻が故意にミルクを与えなかったことを信じるわけにはいかないと言い張った。だが、母親は違った。「こんな子はいりません……。どうしても、かわいく思えないのです。努力したのですが、もう育てられません」疲れ果てた声で、そう言ったのである。拓巳の母親は、中堅の出版社に編集者として勤務していた。小さい頃から憧れていた仕事であり、彼女自身有能だった。出張が多く、深夜までこなしきれない仕事に忙殺される毎日だったが、生き甲斐を感じていた。拓巳は、子どもより仕事を選ぼうとしていた母親のおなかに宿った。会社は、妊娠を歓迎しなかった。母親は迷い抜いた末に、実家の父母を説き伏せ、幼稚園くらいまで育ててもらうつもりで出産を決めた。だが、突然の実父の入院でその計画は頓挫した。さらに誤算が重なった。拓巳が生まれてくるまでに二四時間以上かかり、出産の苦痛は耐え難かった。ようやく生まれてきた拓巳は、思ったより小さく、泣いてばかりいて落胆もした。そのうえに母乳は充分に出ず、人工栄養に頼らなければならなくなったが、拓巳は粉ミルクをいやがり、なかなか飲んでくれなかった。保健師に「体重があまり増えていない」と言われたときには、育てられない自分に罪があるように感じられた。やがて、なんのために子どもを産んで育てるのかわからなくなり、それから誰にも会いたくなくなった。そして、母親になったことを後悔した。拓巳が児童相談所に保護されたあと入院した病室には、母親は見舞いに来なかった。父親は二度ほど見舞いに来たが、その後は病院に行く時間がないと連絡を入れてきた。拓巳は、父親の仕事が破綻した時期に生まれ、母親の夢を奪った子ども。それが、大人の側のストーリーだった。
P24,25:純は、生後半年で児童相談所に一時保護された。母親に首を締められ、危うく命を落とすところだった。父親が仕事から帰宅して気づき、あわてて近くの病院にかつぎ込んだのだが、もう少し遅ければどうなっていたかわからない。両親は高校生のときから交際していて、卒業と同時に同棲生活を始めていた。母親の体調が変化して産婦人科医院に受診したときには、妊娠6ヶ月に入っていた。いっしょに出向いた母親の実母は、産婦人科医に「先生、娘はまだ10代で、子どもを産むには早すぎるのです。どうにかなりませんか」とたずねている。世間体を気にしているようだった。法的に純を葬ることができないと産婦人科医は説明し、乳児院に預けるか、特別養子縁組をする人もいる、と説明をした。母親は子どもをほしくない様子だったが、父親は他人に預けるようなことはしたくないと言い、結局、正式に籍を入れて子どもを産むことになった経緯があった。父親は知り合いの中華料理店に就職して働くようになったが、仕事が深夜まであり、純と母親はふたりきりで過ごさなければならなかった。そして、純が緊急で児童相談所に一時保護される事件に発展した。
P25,26:春奈は、腕の骨折を不審に思った小児科医からの通報で一時保護された。やはり生後半年ごろのことで、検査をしてみると、多発性の骨折が手指や腕に見つかった。夜泣きを黙らせようとした父親の暴力によるもので、子どもを振り回したり、殴ったりしたと推定された。足の裏もライターで焼かれていた。父親は有名な外資系の会社に勤務し、裕福だったが、自宅では妻にも暴力をふるっていた。母親は有名大学を卒業しており、よく知られている自動車会社に就職し、友人の紹介で夫と知り合った。結婚前は優しくて暴力の片鱗も見せない夫だったが、仕事から帰宅すると酒を飲み、暴言と暴力をふるうようになったという。春奈を守ろうとしたが、自分も殴られるので守りきれず、無力感に苛まれていて、母親自身にも助けがいる状況だった。
P73:兄の尊志が助けを求めたのは、父方の叔母の家だった。生まれてから六年間、舞は家に閉じ込められていた。父親の親戚筋は、父親が亡くなったあと、母親がひとりで尊志と舞を育てていることは了解していた。だが、友人を頼って関東の大都市に行き、そこで働いているという連絡を受け取っており、深刻な状況に誰も気づくことはできなかった。兄の尊志が叔母の家に向かう決心をしたのは、舞が衰弱して死ぬのではないかと考えたからだった。一日の食事は夕食を一度きり。電気をつけることを禁じられた暗い部屋で食べていた。だが、最近の痩せ方は尋常ではなくなっていた。何度目かの引っ越しで、叔母の家から遠くない町にやってきたことで思いきりがつき、兄は妹を連れ出したのだった。
P87,88:こういう事件が発覚すると、どうして逃げられなかったのか、という質問が出る。恐れもある。だが、小さな子どもは、育ててもらわなければ生きられない。自分の心を変形させて、理不尽な環境に適応すること。それが虐待を受けている子どもが生きていく方法であり、そのねじれが子どもに深い傷を作る。
P94:「現在は、音や強い刺激に驚愕反応が出ています。フラッシュバック、パニック発作も考えられます。当面、安全感を持てるための日々の生活を最優先していきましょう。安全感を持ってからでないと、友だちを作ることもできませんし」虐待を受けた子どもの中には、突然の声かけや音、出来事に激しく驚く子どもがいる。驚愕反応と言われるほどの強い反応である。フラッシュバックは、侵入的想起とも言う。目がさめているときに、突然虐待されている場面などが意識に侵入してくる。感触や匂いまでもが伴うこともあり、子どもはその場にいるような恐怖を感じる。
P101:教員資格を得るまでの教育課程で、発達心理学や児童精神医学、家族の病理に関して学ぶ機会はあまりない。多くの教師は、問題が起こるとそれまでの経験の積み重ねから工夫し、対応していた。たとえば、自分の行動にブレーキをかけることが苦手な子どもたちは、エネルギーを消耗させるといいと考えた教師がいた。そして、徹底的に運動させた。だがそれは逆効果で、状況はさらに強くなってしまった。また、虐待を察知しても、ひとりで抱え込み、解決できないこともあった。熱心な教師であればあるほど、子どもたちのためにがんばろうとする。だが、せっかくの努力が正しい力とならず、学級崩壊の誘因になっているケースもあると沢木は感じていた。
P108,109:その日、舞はクレヨンを初めて手に持ち、紙にこすりつけると色が出るのを喜んだ。だが、塗り絵の線に沿って塗りつぶすことはできず、描き殴りでしかない。大人といっしょに絵を描いた経験がないことは明白だった。算数の時間になると、沢木は、別の教材を持ち出して3人の前に並べた。「違うのはどれ?同じのはどれ?」動物や木、果物を印刷したカードを並べてみる。だが、舞は動かない。「大きいのはどれ?小さいのはどれ?」紘太朗と奈津子は、これ、あっち、とカードを取る。だが、舞にはリンゴやミカンの大小がわからなかった。「多いのはどれ?少ないのはどれ?」これも言えない。凍りつくような不安に、沢木は鳥肌が立った。そのときだ。「わたしは、ばかです」「え?」舞は拳を握ると、自分の頭を両手で殴った。「そんなことない。舞ちゃんはいい子だよ。先生にはわかってる」沢木は、心をこめて言った。八方ふさがりの生活で追いつめられたとき、舞はこの言葉を使ったに違いなかった。入院してからというもの、子どもにはおよそ似つかわしくない「ですます言葉」を舞は使っている。これも、自分の安全を図る大切な表現なのだろう。
P120:戸倉が言うと、沢木はしっかりと見つめ返した。「学校の主要な仕事は学習、学力をつけることです。基本的には、子ども自身は、学校に来たいものです。やってきて、そしてプリントができ、ひらがなや漢字が読めるようになり、それが大変な自信になります。そのことなしに、子どもと仲良しごっこをしても意味がない。子どもたちが、自分にはできることがあり、ほかのみんなと同じようにできた、という達成感を持てること。そして、社会性の面では、がまんができたとか、最後までいられた、という自信をつけていくことを私は目指したいと考えています」
P125:親子の面会が、かならずしもふたりをよい方向に向かわせるわけではない。離れていれば、互いの間に時間と空間の距離ができ、ファンタジーが生まれる。親は、子どもはよくなっていて、自分の言うとおりにできるようになっている、といった夢を膨らませる。子どものほうは、お母さんは自分を愛してくれる、きっと変わってくれている、と空想する。だが、実際に会えば、現実があまり変わらないことを突きつけられる。
P133:子どもたちが、それぞれ、夢中になって魚を釣り上げる。だが、舞には難しかった。魚に焦点を当てて、釣り糸の先の磁石をさかなの頭に寄せることができない。持ち前の負けん気で、毎日、毎日、舞は魚釣りを続けた。「先生、魚釣りゲームをやろうよ」国語の授業のうち10分間は、毎日、このゲームになった。そして、少しずつ、舞は確実に魚が釣れるようになっていった。「釣れたよー、できたー」小さな自信が笑顔に満ちる。無力な世界からの回復を、舞は繰り返し体験する必要があった。人が生きていく大事な基盤は、自尊心である。だが、つらい環境に自分を曲げて適応させてきた舞には、それが育っていない。なにごとにも自信がなく、迷い、不安がる。生活面でも、学校でも、達成感を味わい、自分にはさまざまなことができるのだという経験を積み重ねることが大事だった。児童精神科医たちの興味も、分校での教育の成果に集まっていた。どこまで回復するのかは、舞のこれからを左右することだった。
P134,135,136:「寒いなぁ、ここは」体育館で、運動会の練習をしていた女子の上級生がそう言ったとき、舞はさっと自分の上着を脱いだ。「これ、どうぞ」間髪をいれず、着せかけたのである。分校の生徒たちが近くの小高い山に遠足に出かけたときにも「気遣い」は発揮された。弁当の箸を忘れた女子の上級生に、迷わず、自分の割り箸を差し出したのである。まだ、舞は自分の弁当を食べ始めていなかった。「お箸をあげちゃったら、舞ちゃんがお弁当を食べられなくなっちゃうじゃないの?」沢木は、舞に聞いたが、差し出した割り箸を引っ込めない。「だけど、これで食べてください」「舞ちゃん、よく相手のことを考えてくれたわね。ありがとう。そうだ、じゃあ、先生のお箸を貸しましょう。舞ちゃんは自分のを使ってね」沢木は、舞の気持ちだけ評価し、その行為を封じた。(虐待を受けた子どもは、ときとして強い者に媚び、わが身を差し出す自己犠牲をいとわない……)この病理を知らないと、おおげさに舞の行動をよいものとしてほめることになる。だがそれは、心の回復にはつながらない。最低限満足させ、でも、こうしようと提案することで、回復の方向性を見失わないようにしなければないけなかった。
P138,139:だが舞は、思うようにできないと、かんしゃくを起こすようになった。「あっちに行け、ばか」と吉野や看護師に暴言を並べる。怒りが高じると自分の頭を両手で殴った。吉野や看護師たちは、そんなときには舞を別の部屋に移し、話を聞いた。場面を変え、環境を変えて、落ち着いたところで、声をかけた。「どう、気持ちがすっきりした?」「舞ちゃんは、いらいらした気持ちをそうやって表すんだね」「つらい気持ちがそうさせたんだよね」もしも、怒りに翻弄されている最中にそういう行動をしてはだめと決めつけたら、支配をした大人と同じになってしまう。それだけは避けなければならなかった。内面の感情や気持ちを言語化できればいいが、子どもにはできない。だから、大人が聞いて、代わりに言語化する。この繰り返しには、子どもの心をつかむ繊細な感覚が必要だった。あすなろ学園の職員たちは、生活の場で何をするべきか、よくわかっていた。信頼関係がないと、子どもは心の奥にしまった怒りを出してこない。心理の治療場面で、意図的に怒りを出させることもいいが、病棟で怒りが出せるようになることを医師たちも考えていた。そして生活のなかで、怒りを出す前に大人にSOSを出せれば、怒りを自分でコントロールできるようになる。「舞ちゃん、できないときには、看護師さんや私に言いにきて」それを繰り返すうちに、側にいる人に助けを求めてくるようになってくれるのを待った。
P142,143:虐待を受けた子どもは、理不尽な行為に怒りをためている。幼ければ、言葉に表現できない深い悲しみを伴っている。それらは抑圧されて、心の傷となっている。強大な力に抵抗できず、無力で、親に愛されない自分に自尊心を失ってもいる。その自分を救うためには、私には力があると思える事実を作ることが必要になる。自分を守るための再現行動でもある。「舞ちゃんが、自分を出せるようになってきたことは、よかったと思う。ただし、怒りの出し方には注意がいるわ。乳児や幼児の怒りの表現は単純よね。イヤだったらわっと泣くでしょう?少し大きくなってくると知恵が働き始めて、怒りの表現も複雑になる。でも、どの状況でも、自分自身が怒る。けれど、虐待を受けた子ども違うの。相手を怒らせるのよ、怒りの矛先にされた人は、どうしてこんなに怒らせるのか、という感情を引き出されてしまう」何年か前に戸倉が治療した摂食障害の女子中学生は、父親から長い間暴力を受けていた。叔父に何度か性的ないたずらをされたこともあった。その少女は、ちょっとした刺激ですぐ怒りだした。だが、自分の中で怒るのではなくて、矛先は相手を怒らせることに向いた。戸倉やほかの職人に、くそばばあ、死ね、と、考えられる限りの悪態をついた。そのとき戸倉は、彼女に言ってみた。そうか、あなたは、私に何か怒っているのね?と。「そのとき彼女は、摩訶不思議な顔をしたのよ。えっ、何か違うの?という顔」谷に、もう少し説明がほしいという表情が浮かんでいた。「つまりね、相手を怒らせることが怒りの出し方だと、その女の子は思っていたのよ。だから、自分の内面にある怒りが、相手に向かっていることを気づかせる。あなたの怒りの出し方は間違っていると気づかせる。それが、大事な治療だと思うの。彼女のように、ごく当たり前にふるまっている場合も少なくなくて、自覚するのは難しいと思う。でも、関わる人が専門的な知識を持っていれば、日常の中で繰り返しアプローチできるわ。在宅で暮らす子どもたちにも、児童養護施設などで成長する子どもにも、怒りのコントロールについて、大人が関わる必要があるのよ。知らず知らず、相手を傷つける大人になってしまわないように」
P163:「以前戸倉先生がおっしゃったように、自由に遊べるプレイセラピーを心がけて、よく遊べるようになりました。没頭できるようにもなったのですが……。おもちゃ箱を空にしては、羊や犬のぬいぐるみを閉じ込める遊びは、相変わらず続いています。それはもう、強迫的な繰り返しです」子どもの遊び、それは本来、気まぐれで楽しいものだ。だが、虐待を受けた子どもの遊びは違う。心に負った傷を再現する。そこで見せるこだわり、執拗さは、医師でも耐えられないほどになる。「でも舞ちゃんは、治療を受けているから、まだいいのですよね……」「いかに早期に、しかも適切に治療できるかが、その子の一生を希望あるものにするかどうかを分ける。虐待は、そう言いきってもいいほど、子どもの心身の成長を妨げるわ」
P164,165:「私は、児童養護施設にいたことがあるのです。乳児院から児童養護施設には三歳の誕生日に行きました。生活に慣れると、布団を自分で敷くように言われました。保育園に行き、帰るとすぐに布団を敷くのです。三歳の私に、敷かないと夕飯はなしだと言いました。どうしていいかわからなくて泣いていると、あるとき、たぶん研修生のような人が施設に来ていて、どうしたのと聞いたので、助けてお姉ちゃん、と言いました。そのときはその人が敷いてくれました。でも、よその人が来ているからって甘えるなと大きい子どもたちに言われました。昔の話で、今はそんなことはないでしょう。でも、あの光景だけは焼きついて忘れられないのです」戸倉は初めて聞く話だった。「児童養護施設の先生たちは、私のためにやってくれたのです。自立する力をつけるために。親となってみて、それがわかります。でも私は小さくて、誰にも頼れず、つらかった。悲しかった。おやつは園長先生に『おやつをください』と言わないと食べられない。私ひとりだけを見てくれる大人はいなかった。何が好きなのと聞いてもらえることなんてありませんでした」「舞ちゃんを児童養護施設に預けると、同じようなことになると思っていたの?」戸倉が聞くと、美由紀は肯き、話を続けた。16歳の母親と18歳の父親が美由紀の両親だった。予定外の妊娠し、高校生だった母親は、ひそかに産院で出産すると、そのまま美由紀を乳児院に預けたという。
P167,168:美由紀がアルバイトをしていた製薬会社で、夫が上司として働いていた。ふたりは愛し合ったが、夫の家は結婚に反対した。「夫の父親は民間病院の医師でした。母親は薬剤師をしていました。夫のきょうだいたちも、病院や薬局に勤務しているような家でした。夫は反対を押しきって結婚してくれましたが、勘当同然で、私は夫に申し訳なくて、不幸にしてしまったように感じていました」「そんないきさつがあったのねぇ。でも、尊志くんと舞ちゃんが生まれて、お父さんは喜んでくれたのでしょう?」「それは喜んで、尊志をかわいがってくれました。舞が女の子だったことも嬉しくてしかたなくて……」だが、舞が生まれてすぐに、美由紀の夫は交通事故で亡くなってしまうことになる。面接を終えて美由紀を見送った戸倉の中で、なぜ彼女が舞を完全に閉じ込めたかの答えが、形になり始めた。美由紀が尊志をかわいがっていることからして、舞が育てられないということはなかっただろう。だが、舞に遅れがあると美由紀は思い込んでいた。夫の家系が医療関係者であったことは、無関係ではないだろう。美由紀は、結婚に反対した夫の親族に対し、医者になれるような優秀な子どもを産んでみせたかったのではないだろうか。だから、舞のことは言えなかった。手放すことも考えたが、児童養護施設に子どもを預けることには大きな抵抗があった。(おやつをくださいと言えても、困ったときに『助けて』と声をあげる力は育たなかった……)美由紀もまた、彼女自身の家族に翻弄された被害者だったのだ。
P176,177,178:「クリスマスのケーキは、お母さんが買ってくれるんだよ。お兄ちゃんが待っているし。早く帰って家でいっしょに食べるの」舞は興奮して話し続けた。美由紀との面会は月に一回、面接と同じペースで行われていた。舞は逃げることもなくなり、母親がやってくるのを待つようなそぶりが見え始めていた。イブの日の夕方、美由紀が自動車で迎えにやってきた。舞は、病棟で用意した服を拒否して、母親が持ってきた服に袖を通した。茶色のセーターにはクマの刺繍がしてあった。舞はそれに何度か手をやり、自慢げに胸を張った。(中略)医師たちは、児童相談所に、外泊期間中のサポートを依頼していた。吉野には、試験外泊の二泊三日が、気が遠くなるほどの時間に感じられた。三日後の夕方、舞は帰ってきた 。「お帰り、舞ちゃん、おなかは空いていない?」待っていた吉野は、病室に戻ると、そう聞いた。食事はきちんとさせました、と送ってきた母親の美由紀は言った。しかし、着替えをさせると、背中にあざのようなものがあった。「……」舞は、下を向いたまま、返事をしない。(中略)「砂糖をこぼしたら、お母さんが怒った」ぽつりぽつりと出てくる話を聞きながら、吉野はさりげなく舞に体を寄せた。家では、クリスマスパーティーはなかった。ケーキも買ってもらえなかった。おそらく、その腹いせに舞が砂糖をばらまいたのだ。そして、暴力的な叱られ方をした。「舞ちゃんに、クリスマスプレゼントがあるの。待っていて」吉野が、渡せなかったプレゼントの包みを持ってくると、舞が不思議そうな顔をした。「ケーキはないけど。開けてみて」リボンをはずして封筒を開けると、舞の目が輝いた。「たぬきの糸車だあ」自分のおもちゃや絵本をほかの子どもたちは持っている。だから、舞にも自分の絵本を持たせたかった。その夜は、吉野が絵本を読んで舞を寝かしつけた。絵本には何が書いてあるか舞は全部覚えている。ところどころいっしょになって文章を口ずさみながら、やがて舞は眠った。ベッドの下に置いた舞のバッグには、不器用にたたんだ、茶色のクマのセーターがしまってあった。
P182,183:「では、私たちは、そろそろ……」送りに出た園長と舞は手をつないでいた。そして、吉野を追わなかった。帰りの車の中で、吉野は頭を抱えた。(愛着の切り替えスイッチ……。あの子は、生き抜くために、愛着を結ぶ相手を切り替えていた。私との信頼関係ができていたのではなかったのだ……)車の中で吉野の体に必死で身を寄せていた行動は、この2年の時間をともにし、ふたりの関係が築けたことを確信させた。(私は、愛情を示していれば、人間はわかり合え、互いをさらけ出せるものと信じてきた。でも、愛着がないことが普通の生活だったのだ、あの子には。愛着を育てる以前のところで、愛着なんて知らないところで、舞ちゃんは生きていた……)大きなものが腹の底から押し寄せ、吉野は声を出して泣いた。精神科医たちは、重い虐待を受けたことによる代表的な後遺症に、反応性愛着障害をあげる。信頼できる人と出会えなかった子どもは、愛着を結ぶ力を充分に培えない。怯えや警戒心が加わり、他人からの接触を拒絶するようになる一方で、誰にでも無差別に甘えることができる。相手を特定せずに甘える、ということは、誰とも愛着を結ばないということでもある。知識としては、とうに知っていたはずのことが、現実となって吉野の目の前で起こったのだった。(誰にも心を結ばない自分を、自分自身では気づかない。ほかの人は人と結びあって生きている世界で、舞ちゃんはそれを知らない。恋人や子どもができたとき、愛着をどう結ぶのだろうか。子どもを育てるとき、親子の愛着関係を作れるのだろうか。ミルクをあげることはできても、子どもを守る安全基地になれないのではないか。では、生まれた子どもは愛着をどう築いたらいいのだろう……)
P224,226,227:「まず、子どもに対しては、わかりやすいコミュニケーションを取りましょう。あいまいなコミュニケーションは避けましょう。これが大事なところです」野口が勤務している「神戸少年の町」の一室が、きょうの教室だった。「あいまいって、どんな?」「あいまいなコミュニケーションとは、殴るとか、ちゃんととか、いい子で、などです」「それが、あいまい?ちゃんとしろ、いい子にしていなさいとか、親なら誰でも言うものですよ」「そうかもしれません。子どものしつけは難しいですよね。そこで、具体的なコミュニケーションの取り方を勉強したいのです。ともかく、まずビデオを見てみましょう」(中略)「どうでしょう、この場面。お父さんだったら、この息子さんになんて話しかけますか?」「なんだ、その態度は!と言います」「それはそうです。でも、頭ごなしに言って子どもが聞くでしょうか?」「え?いや、あの、そうですね、聞かないかもしれないけど……」「どう言ったら話を聞いてくれそうか、いっぺんやってみましょうか?」それから、野口が子ども役となってロールプレイをしてみる。
父親「お父さんの話を無視するなんてよくないぞ、理由があるなら話してみろ」
野口「見たいテレビがあるんだ」
父親「今は、勉強の時間だろ」
野口「わかったよ、ビデオにとってもいい?」
父親「ああ、それはかまわないさ。よく聞き分けたね」
ロールプレイで自分の役になりきって会話することで、具体的な言葉を選んでいく経験を積み重ねる。野口はこのとき、子どもをより具体的にほめているのがとてもいいですね、と声をかけた。この父親は六回のトレーニングを受けた。そして、ある日野口を訪ねると、子どもとの関係が変化したことを報告してくれた。「ほめると嬉しそうにするんですよ」こう語った父親は、本当に嬉しそうな顔をした。彼は、子どものためによかれと考え、しつけの方法として暴力を使っていた。自分自身が父親にされた、当たり前のことだった。だが、その方法を変化させることで、子どもには父親が自分に優しくしてくれたという思いが育まれ、笑顔が生まれた。



<2,まとめ,感想,考察>


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| 5,「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦 |

[2016/03/23 16:23] | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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